「西高野街道」@  2021年4月18日

西高野街道@ (4.6km/79分)

予定通りですが、引き続き、西高野街道を歩き始めました。長尾街道、おまけを合わせて計10.9kmとなりました。

カメラのレンズが汚れてしまい、何枚もの写真を台無しにしてしまいました。マシなのを選んでいますが、見苦しいところはご勘弁下さいませ。。


大小路 (おおしょうじ) &西高野街道を歩くのは初めてだと思います。以前はたいてい、「御陵前」から大仙公園に向かって歩きましたから。



ここもケヤキの並木道のようです。歩道も広く、快適で御座います。



入ってすぐにエレベーターに乗りました。




21階の展望ロビーから履中天皇陵を眺めています。




仁徳天皇陵 (本来なら大山古墳とすべき)はもっと近くから眺めたいものです。



展望ロビーの写真を、左に隠れているハニワ部長が説明中?

反正天皇陵、仁徳天皇陵、履中天皇陵、いたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳と貝殻のかたちをした小さな古墳が、わたしの知っている百舌鳥古墳群なり。何度も行っているので、いつの間にか覚えてしまいました。私が好きなのはニサンザイ古墳なり。絵になりますから。



堺市役所高層館




西高野街道についても、長尾街道と同様によく整備され、迷うことなく歩くことが出来ました。



道なりに歩きました。




反正天皇陵から南下したときも、ここにやって来ます。お馴染みの場所です。竹之内(竹内)街道がわたしを誘いますが、当分まだのことです。



南海高野線の上(耳原橋)を渡ります。

『延喜式』は、この古墳を「百舌鳥耳原中陵」(もずのみみはらのなかのみささぎ)と命名し、現在は宮内庁が第16代仁徳天皇の陵墓に治定・管理している。(大阪観光局サイト)

「耳原」の元を探してみました。



中央環状線を渡る歩道橋にも「西高野街道」の表示あり。




右に向かうともう一度「西高野街道」の表示あり。ここで、さらに右に向かうか、左に向かうかで迷いそうですが、左です。

さらに右に向かうのは仁徳天皇陵(の西側を)をぐるりと回るときですから。



南東に向かう国道310号線沿いの道に降りてきました。




ずっとずっと南下して、東に曲がるところにやって来ました。



街道の道は当分、この色です。




もちろん、標識もあります。ここでは、道路は普通のコンクリート色になっています。



中百舌鳥駅(南海、地下鉄)近くで再び、元の色に戻りました。この先を左折して中百舌鳥駅 (地下鉄)に向かいます。この曲がり角が今日の街道歩きの終点です。